皆さん、こんにちは^^
朝ドラマのエールの、原作モデルの古関裕而(こせき ゆうじ)さんが注目されていますね!
彼は、戦前、軍歌を作曲したり1964年の東京五輪の開会式で流れた【オリンピック・マーチ】・甲子園で流れた【栄冠は君に輝く】など、約5000曲もの音楽を作曲している凄い方なんです。
私は、30代なので全然知りませんでしたが、私の親の世代の人達は知っている人も多いのではないでしょうか。
今回は、古関裕而さんの生い立ちや、学歴・若い頃の顔画像(写真)などについてご紹介していきます。
古関裕而の若い頃の顔画像(写真)が気になる
古関裕而さんの、若い頃の顔画像(写真)をご紹介します。
けっこう、物静かな方だったようでプロ野球の応援歌や軍歌などを作曲されていますが、本人はあまり興味はなかったそうです(笑)
それでも、曲を作っていたのはお金や名声の為でしょうか。
いや、私は違うと思いますね~。
生い立ちは、儚くも戦争真っ只中の時代に活躍されていますから、おそらく軍や政府の権力が物凄く強かったことでしょう。
なので、若いころの古関裕而さんは歯向かったら何をされるかわからないという恐怖感もあったのではないでしょうか。
顔画像(写真)もイケメンですから、女性ファンも多かったと思います。
特に、古関裕而さんは、自分が作った軍歌が戦争で使用されて軍隊の士気を上げる事になっていたのは複雑な気持ちだったと思います。
古関裕而の若い頃の生い立ち!
古関裕而さんの若い頃の生い立ちをご紹介します。
出身地は、福島県福島市大町で呉服店の【喜多三】を家族で営んでいたそうです。
父親が昔から、音楽好きで古関裕而さんも子供の頃からよく一緒にレコードを聴いていたから絶対音感が身につき、作曲家への道へ進んだそうです。
お父さんの顔画像(写真)はありませんでしたが、同じ様にイケメンなんでしょうね^^
そして、古関裕而さんは戦争時代に学校へも通っていたそうなので、しっかりした学歴(出身高校・大学)もありそうですよね。
生い立ちは、朝ドラのエールを観ると深く理解する事ができると思いますが、少し脚色されているかもしれません。
本格的に作曲を始めたのが、小学生時代から何だそうで、それから一生懸命に音楽を勉強しプロの作曲家デビューは、故郷の福島県を題材とした【福島行進曲】があります。
その後、東京オリンピックの曲や甲子園の曲・軍歌など幅広いジャンルの音楽を若い頃から手掛けられているという生い立ちになります。
古関裕而の学歴(出身高校・大学)が気になる
古関裕而さんの、学歴(出身高校・大学)を調査しました。
さすが、若い頃から音楽好きという事もあって高校は音楽家の人達が多い【旧制福島商業学校(現福島商業高等学校)】を卒業されています。
その後、大学へは進学せずに川俣銀行(現東邦銀行川俣支店)に就職しているという経歴がありました。
てっきり、昔から音楽一筋の生い立ちでしたから、そのまま作曲家への道を突き進んでいたのかと思いましたがサラリーマンをしていたのですね!
古関裕而のまとめ
古関裕而さんの生い立ち情報は、出身地が福島県福島市大町で呉服店の【喜多三】を家族で経営されていました。
小学生の頃から、父親の影響で音楽が好きになり作曲活動にのめり込むようになったそうです。
若い頃の学歴で、出身高校は旧制福島商業学校(現福島商業高等学校)で、大学へは進学せずに卒業後は銀行員としてしばらく活動していました。
古関裕而の生い立ち!学歴や若い頃の顔画像(写真)が気になる
についてまとめてみました!いかがでしたでしょうか。
最後まで読んでいただきまして、どうもありがとうございました!
また、お気軽に当ブログに遊びにきてくださいね^^